【公開質疑応答その11】それを選んで生まれてきた

 これ の続き。

 

前回のけろきちさんからのテキスト、気になるとこが4点ありました。

 

その1:

ま、これにひっかかるのは私だけかと思いますが、3点リーダーが5箇所で使用されていました。参考エントリー:では、問題です

 

けろきちさん、この5箇所、3点リーダーを使わずに完結させていただけませんか?3つの点々で省略してしまったもの、それは一体なんだったのでしょうか。

その2:弱くてダメな自分を責めることなく寄り添っていくことにシフトしたいけど上手くいかない

 

これは当たり前です。望む方向に進もうとして進めないのは、自分を責めていたことに対する「ヨシヨシ」がないからです。穴を埋めてないのに、その上に物を積み上げようとしたって無理です。

 

その3:見える人に言われたので無ければ、ここまで引っかからなかったのかも知れません

 

これは私がまさにそうで、っつか、そういう物の言い方をする人は「見える人」以前には遭遇してなかったからです。 

 

どうにも解決策が見えないことに対して、自分よりはるかに力のある「見える人」に尋ねてはみたものの、それはあなたの選択です、としか返ってこない。

参考エントリー:やるせなく

 

なんの因果かこの仕事に足を突っ込むことになりましたが、多くの占いを目指す方のように占いが好きでもなし、人のためにという気持ちもなし、見える力もなし、というのが私にとって大いなる引け目でした(バカです、バカ。

そこに現れた「見える人」の存在は、私にはものすごい力のある人ように思えたのですね。ひれ伏しました。

 

が、私自身も占いにも見える力にも救われなかった。救えないものを私が身につける必要もないのですよね、よくよく考えてみたら。

 

しかし、何が、ではなくて、誰からか。

 

見える人にウエメセを感じてしまうのは、まさに上からシモジモに言葉を投げかけてるからで、地べたをのたうちまわっている気持ちには寄り添ってくれない。

 

選んで生まれてきた、と思えるならそれにこしたことはない。そこに至るまでに寄り添う姿勢がないことにムカつくのですよね!!

 

が、選んで生まれてきた、と納得できるまで寄り添ってくれるもの存在に出会ったのです。それが、いわゆるキリスト者という人たちでした。

 

西成から始まった、聖フランチェスコの考えに私をつなげたもの。

参考エントリー:パペラキュウとアッシジの丘

 

キリスト者が強いのは、イエスを信じているからで、どうしたらそうなれるのか、なんとか聖書に近づこうとしましたがハードルが高いのか縁がない、必要がないと言われているのか、どうにも距離が縮まりません。

 

身も蓋もない結論は、信じる者は救われる、です。

 

何を信じるのか、どうしたら信じられるのか。

その4:

 

では、私の厄介な人生はなぜ存在しているか?

問題の原因はどこにある?何だ?

 

これに対する答え、現時点でひとつたどり着けています。が、私はまだそれを、説得力をもって口にすることができません。だって私自身、まだ腑に落としきれてないから。

 

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