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重松清「ひこばえ」終了〜胸に空いた「穴」と生きる

みなさんご存知のように(知らんか)、亡くなった方の冥福をお祈りします、ってフレーズが好きじゃないんですよ。

亡くなった方に祈りが届くかどうかわからんやん?

祈るべきは、大切な人を失った目の前の方にこそ。大切な人が逝っちゃって悲しいよね、辛いよね、と。

知っている方ならともかく、見ず知らずの逝った方への想いは、失った痛みへのシンパシー(同情と書くと違うニュアンスになってしまうので、あえてシンパシーと。意味は同じなんだけどね。

2018年の6月から始まった重松清の新聞連載「ひこばえ」が終了しました。

みなさんご存知(ry)、私は重松清信者です。こたつの上のみかん1個からでも滂沱の涙の物語を作り出す重松先生ような筆の力を私も持ちたい!みなさんのちっちゃいちゃんの物語がいかに尊いかをわかっていただきたい!とずーっと思っていずにいまだ果たせずにいます。

新聞連載、毎日かかさず読みましたが、今回はイマイチフルイチのめり込めませんでした。

これこれ、これも苦手なものです。なぜ自分の感情にフォーカスしない?なぜ亡くなった人にそれを押し付ける?

これも同じ。浮かばれるのは車じゃなくて自分だろ、と。

主人公の感情の描き方がどうにもグダグダしすぎて、それは他の登場人物もそうで、あえてそうしたのかな、そのグダグダこそを描きたかったのかな、とも思いましたら。

ら。

そうか、穴だったのか、穴ぼこだったのか、描きたかったのは。

みなさんご存(ry)、コネクトロンにおける穴ぼこの定義は

欲しかった人から欲しかったときに欲しかったもらえなかったことによる欠落感

です。

穴を埋めるために丶(・ω・`) ヨシヨシをします。丶(・ω・`) ヨシヨシをすれば穴は埋まります。

いえ、埋まりません(どっちやねん。

埋めることよりも、埋めようとすることのほうが大切。だってそれは、ちっちゃいちゃんに寄り添う行為だから。埋めてしまいたい、早くすっきりしてしまいたい、というのは、ちっちゃいちゃんを切り捨ててしまうことです。

それは悲しい、ちっちゃいちゃん。

上記の談話の終わりのほう、

『ひこばえ』は、「いなくなった人と共に生きていくこと」こそを自らに問う物語でもあったのだと思う。

共に生きていく、生き続ける。大切な人との関係は終わらないのです、続くのです。

あなたのちっちゃいちゃん、大切にし続けてあげてください。

ちっちゃいちゃんからの声に耳を傾け続けてあげてください。

みなさんご存知のように(知ってるよね??)、好きでも興味もなくなぜか今の仕事をすることになり、なんためにやってるんだろうと自問自答することも多々、占いにも心理学にも救われたことない私、そんな私(どんな?)への最大にして唯一のギフトはセッションで触れることができたみなさんのちっちゃいちゃんの物語です。

こんなにもあなたがたは切ない人生を生きていらっしゃるのだ、とお伝えしたいのです。そうも切ない自分、と思えたなら、大切にするしかないじゃないですか。愛おしむしかないじゃないですか、自分を。

「ここ数年、あまりにも発見が多くなってきて」

はい、みなさんの物語の尊さをより感じるようになってきましてね!

年とったから????

これが10年続けてきたことの成果、ご褒美かな、と思っています。

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