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羨ましがってばかりなのはなぜ?

メッセージをいただきました。

最近唐突に気づいたんですが、わたしの根っこは「恥ずかしい」なんですよ。自分って恥ずかしいって!!

それに気付けて何か変わりましたか?何か解決しましたか?とおたずねしたら

いまのところ、あまたの言葉の中でこれが!!って超スッキリ感あり。恥、から怒り、悲しみ、怖さ、の感情が派生してることに気づきました。惨めさともセットです。

何によって「恥ずかしい」をインプットされちゃったんでしょうね。そこはハッキリしたのかな?

私の根っこはなんだろ?と考えたら、すぐに出てきます、私は「羨ましい」です。とにかくいつも誰かを羨んできた。そして羨んでいる。多少なりとも自分が持っているものには目を向けないで、人が持っているものばかりに目を向けて羨んでいる。そして、それを持っていない自分はダメだ、とたやすく黒タママ化します。

その理由は明白です。私にはないものがあった、おとうさんとおかあさんが居るおウチ。いいな、いいな、おとうさんやおかあさんがおウチに居る人、羨ましいな(「おとうさんやおかあさん」ではないことに注意!!「おとうさんやおかあさんがいるおウチ」です。

持っていたものを失ったならそれは欠落感となります。失ったものへの思慕となりますが、もともと持っていなものは、持っていないことのデメリットに気づけないのです。

私はおとうさん、おかあさんと生活を共にしたことがありません。なのでおとうさんとおかあさんそのものを恋しく思うわけではありません。

おとうさんとおかあさんが機能している生活、おウチが欲しいのです。

なぜ欲しいのか?だって他の子はみんな持ってるんだもん。持ってて嬉しそうなんだもん。持ってること自慢するんだもん。

私だって自慢したい。

そう、傲慢と卑屈がセットであるのと同じで(同じなのか?)羨ましがることと自慢することもセットです。自慢は傲慢へと、マウントへとたやすくシフトします。

みなさんご存知のように(知らんか)母を神戸に呼び寄せたわけですが、それを言うと孝行娘みたいに言われるのが非常に辛い。おかあさんもお喜びでしょう、みたいに言われるのがまた辛い。親だから、娘だから、家族だから、と血の繋がりゆえに思いやり的なものがベースになってるのが当然みたいに言われるのがどうにも受け入れられない。

遠くの親戚より近くの他人、っていいますやん。私にとって血の繋がりとは、繋がってるからしゃーないな、と義務を押し付けられるものでしかないのです。

何が、ではなくて、誰からか

と、常々口を酸っぱくして申しておりますが、それと同じで(同じなのか?)血の繋がりではなくて、誰か?なのです。

母は親でなければとても魅力的な人でした。そして、私は娘でなければ彼女にとってはさしたる取り柄も魅力もない存在なんだろうな、とずっと思っていました。血が繋がってるから仕方なく、産んだからしゃーない、なんだろうな。

血の繋がりに美しい物語を見出すことはできないんです。血の繋がりに意味を見出すのは、血が繋がってたら物理的に本来は近しい距離の関係を保ちますよね。それさえなかったら、血の繋がりにあるのは戸籍とかの法的な意味だけではないかと。

血の繋がりがあるゆえに発生したのは「あんたを産んだせいで病気になってしまった」と言われ続けたがための罪悪感と無力感。産んでもらってなかったら、それないやんね。

私が欲しかったのは、おとうさんおかあさんではなくて、「親の庇護が必要な時期に庇護してくれるおとうさんおかあさんがいる生活」でした。親の庇護が必要でなくなった今、それは決して手に入りません。

私が欲しかったものは決して手に入らないのです。

つまり。

私の穴ぼこは決して埋まらないのです。

私の羨ましい病は治らないのですよ。

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